ビジネスケアラーの「介護離職」を防ぐために、いま企業ができること
働きながら親などの介護を自宅で行う、ビジネスケアラーが増加している。経済産業省では2030年時点でビジネスケアラーの数は約318万人に上り、労働生産性の減少によって9兆円以上の経済損失が生じると推計している。仕事と介護が両立できないことで、「介護離職」が起こってしまうからだ。経済産業省では2023年3月に「仕事と介護の両立支援に関する経営者向けガイドライン」を公表し、企業のコミットメントが不可欠として対応を求めているている。そこで、「介護離職」が起こる背景と企業視点での課題について、スウェーデン出身の高齢者福祉の研究者であり、介護施設の運営にも携わるグスタフ・ストランデル氏に解説してもらった。
構成/岩川悟 取材・文/吉田大悟 写真/石塚雅人
「介護離職」の社会背景と介護福祉の現状
——まず、日本で「介護離職」が深刻化している背景について、ストランデルさんのお考えを聞かせてください。
グスタフ・ストランデル:「介護離職」の問題そのものは、ここ日本に限ったことではなく、欧米諸国でも同様に存在します。ただし、日本の事情が特に危機的であることに違いありません。その背景には、高い水準の高齢化率と世界最低レベルの出生率が挙げられます。
欧米をはじめとする先進国の出生率低下と人口減少は世界的なトレンドですが、出生率1.34(2020年、厚生労働省)の日本に比べれば、欧米の出生率の低下はゆるやかです。例えば、わたしの母国スウェーデンでは、この50年間で1.5~2.5の間を上下しています。
さらに、アメリカでも出生率は減少し続け、2020年段階で1.64ですが、人口はむしろ増加しています。その理由は、多くの移民を受け入れているからと考えられます。
一方、日本の場合は、低水準の出生率が大きく回復することなく減少トレンドで推移し続け、また人口減少に対して移民の受け入れも少ないことから、高齢化率の上昇は急激でした。そのため、介護福祉の進展が追いつかなかったことが、介護離職をはじめとする社会問題の原因に挙げられます。
——そのような状況に対し、日本の介護福祉の現状はどのようになっているのでしょうか?
グスタフ・ストランデル:福祉先進国といわれるスウェーデンでは、高齢化に直面してから約100年をかけて社会福祉を充実させてきました。それに比べれば、日本はこの20年で奇跡的といえるほど急激な介護福祉の進展が見られます。
わたしは1990年代から日本を訪れ、全国各地の介護施設を見てまわりましたが、当時はウェルビーイングとは程遠い状況でした。極端な表現をすれば、ひたすら認知症の入居者を寝かせておくだけのような施設がほとんどだったのです。
しかし、2000年の「介護保険」の導入以降、日本の介護福祉は要介護者のウェルビーイングの実現に向けて飛躍的に進化してきました。少なくとも現在では、入所者を寝かせたままにするような介護施設はありません。また、近年まで介護施設の待機者数の多さから、入所できないことが社会問題となっていましたが、施設数は着実に増加し、待機者数も緩和されています。
自宅介護の領域でも、2003年から「地域包括ケアシステム」がスタートし、要介護者を地域が一体となってサポートできる体制が整っています。デイサービスや訪問介護が家族の介護負担を軽減し、医療サービスやNPO団体などによる生活支援の体制が構築され、地域包括センターのケアマネージャーが中心となってサポートしてくれます。
つまり、かつての介護離職の原因は、介護支援のネットワークが不十分であったり、介護施設を利用したくても利用できなかったりすることにありましたが、現在では支援体制そのものが進化しているということが言えます。
そうした状況を踏まえると、介護離職を防ぐためには「地域包括ケアシステム」などの支援体制を必要とする人に適切に届けること、そして介護する人が支援体制を有効活用すると同時に、自分自身のウェルビーイングも大切にしようとするメンタリティへの課題にも目を向ける必要があるでしょう。その情報発信と啓蒙の役割を、ぜひ企業に担ってほしいとわたしは考えています。
日本とスウェーデンのビジネスケアラーの違い
——福祉先進国であるスウェーデンでは、どのように自宅介護が行われているのですか?
グスタフ・ストランデル:スウェーデンもかつては日本同様に、重大な課題を抱えていました。ここで古い話ですが、20年前に日本の社会福祉の専門家たちをストックホルム視察に連れて行った際のエピソードをご紹介しましょう。
日本の専門家たちは、スウェーデンの介護支援体制はさぞかし進んでいると期待していたはずです。しかし、ストックホルム大学で社会福祉学の教授がした話は、「いかにスウェーデンの介護支援体制が整っていないか」だったのです。
当時、その教授の出したデータによれば、自宅で介護を受けているスウェーデン人が利用している公的な介護サービスは、月間で平均してわずか35時間、つまり1日あたりにすると1時間強です。一方、家族が介護ケアに費やす時間は月間平均299時間でした。
家族が交代であたるとしても、1日12時間以上の介護では、働く時間以外の多くを介護に費やすことになります。これは20年前のデータですから、現在では地域社会のサポートは拡充・改善されていますが、「劇的に変化した」というほどでもありません。福祉先進国といわれるスウェーデンでさえ、介護を完全に社会に任せられるわけではないのです。
——自宅介護に費やす時間の多さは日本のビジネスケアラーと共通していても、スウェーデンでは介護離職が深刻な問題にならない理由はあるのですか?
グスタフ・ストランデル:日本とは「働き方」に大きな違いがあります。スウェーデンでは多くの場合、自宅と勤務地が近い人が多く、日本のように長距離通勤をすることはそこまでありません。
そして、「残業が少ない」という点も日本とスウェーデンで異なる部分です。スウェーデンは定時の帰宅がスタンダードで、休日出勤もありません。さらに夏休みには5週間~6週間の休暇を取得します。ワークライフバランスが日本とはまるで違うので、仕事と介護、自分の時間をすべて成り立たせるプランを立て、そのとおりに行動することができるのです。
また、年間100日以内まで「近親者介護休業給付金」として、所得の約80%が国から支給される介護休暇を取得できます。働き方の調整に対しても企業は協力的ですから、「介護離職」がまったくないわけではありませんが、日本に比べてはるかに安定的に自宅介護ができます。そのうえで、メンタリティは日本人に比べれば合理的であり、要介護者と自分のウェルビーイングを実現するために使える制度や支援は惜しみなく活用します。
一方の日本人は、少し自己犠牲的に介護を考えてしまうのだと思います。もし親の介護をご自身や家族で行うのなら、親だけでなく自分自身や家族のウェルビーイングも重視して、介護のあり方を考えていいのです。
ここで大切なことは、自分ひとりや家族だけで介護を抱え込まないこと。デイサービスやホームヘルプサービス、訪問看護や訪問医療など、地域包括ケアシステムを有効活用し、社会と一緒に取り組むべきなのです。
介護離職対策は「従業員を知ること」からはじまる
——これまでのお話を踏まえ、従業員の介護離職を防ぐために、企業はどのようなアクションを起こすことが望ましいと考えますか?
グスタフ・ストランデル:まず、仕事と介護の両立を図る人々、いわゆるビジネスケアラーの日常を理解することからはじめてみてはいかがでしょうか。自宅介護と仕事を両立しているわたしの知人などは、仕事とデイサービスなどの送り迎え、出勤前と帰宅後の介護ケアについて過密なスケジュールを組んで日々対応しています。スウェーデンのワークライフバランスを無理に実践しようとはいえませんが、その大変さを知ると、配慮の必要性がわかるはずです。
次に、先にも述べた情報発信と啓蒙の役割を企業が担うことを、ぜひお願いしたいですね。各自治体には優れた地域包括ケアシステムがありますが、情報発信にあまり積極的ではなく、周知されにくいことが課題です。地域包括ケアシステムをどのように活用して働き方を考えればいいのか? 介護休暇や時短勤務などに関する国や企業の支援体制はどうなっているのか? そういった情報を案内できる体制があることが望ましいでしょう。
また、介護における要介護者と介護する側の自分自身のウェルビーイングのあり方について、研修などを通じて啓蒙していくことも必要です。そうすることで、介護離職ではない選択肢に気がつくことができるはずです。
——しかし、人事・総務の人たちが現在の業務に加え、介護に関する知識を身につける負担が気にかかります。
グスタフ・ストランデル:情報提供とサポートだけであれば、マニュアルを整備し、ToDoリストを作成すればいいだけのことだと思います。そう難しく考える必要はありません。
年々、要介護者は増加しているのですから、なにも手を打たず介護離職に対して指をくわえて見ていれば、いずれ人的資本の面から企業の存続が危ぶまれます。経営危機に陥りかねない問題であることを認識し、企業としてのサポートのあり方を検討するべきだと思います。介護問題に関する社内のリサーチ方法や事例の共有、マニュアルの考え方や内容など、わたしがサポートできることもありますので、ぜひ相談してほしいと思います。