「親を介護施設に預けようと思うが、どうしても気が引ける」という声は依然として多い。その理由は様々だが、自分が責任を放棄したような後ろめたさと、「介護施設」という実体験のない世界に親を預けることへの不安もあるだろう。しかし、結果として親が幸福に生きられるのなら、介護施設に預けることも「いい選択だった」と思うことができる。そこで、介護施設におけるウェルビーイングの実態や、業界の抱えている課題について、高齢者福祉の専門家であるグスタフ・ストランデル氏の考えを語ってもらった。
構成/岩川悟 取材・文/吉田大悟 写真/石塚雅人
——長年にわたって介護福祉に研究者・施設運営者として携わってきたストランデルさんにとって、「介護施設で暮らす高齢者のウェルビーイング」とは、どのようなものだとお考えですか?
グスタフ・ストランデル:大前提として、「積極的に老人ホームに入りたい高齢者」はいません。「子どもたちに迷惑をかけたくない」「居場所がない」という思いから入所を希望する人もいますが、それは本来の願いではありませんよね?
たとえ重度の認知症であろうと、「住み慣れた我が家で暮らしたい」「家族に囲まれていたい」というのが、介護施設に入所する多くの高齢者が抱く本来の願いだと思います。実際に、入所者のなかには「家に帰りたい」といってさみしがる人もたくさんいます。それは日本に限らず、どの国の介護施設でも同様です。
だからといって、「家族が自宅で介護をするべきだ」といいたいのではありません。入所者の本来の願いを実現するために、入居型の介護施設を運営するわたしたちがするべきことはシンプルです。住む場所こそ変わってしまいますが、「いかに入所者のこれまでの生活を守ることができるか?」「いかにご家族に訪問してもらうか?」に尽きます。
——「これまでの生活を守る」とは、具体的にどういうことですか?
グスタフ・ストランデル:昔ながらの介護施設の考え方では、それまでの入所者の趣味嗜好、やりたいことが施設のルールから逸脱する場合は規制される傾向にありました。例えば歌うことが好きでも、4人部屋とラウンジしかなかったら「他の人の迷惑だから」と規制されるでしょう。
個室が与えられてもリスクマネジメントの観点から制約が多かったり、認知症の度合いにもよりますが、自由に外出させてもらえなかったりする施設もあります。
日本では、集団のなかで自由を求めることを「わがまま」と認識されやすいのですが、外国で生まれ育ったわたしから見れば、それはおかしいと感じます。なぜなら、自分のやりたいことを自分で意思決定できることが、「自分らしさ」を守ることにつながるからです。自分らしく生きることがウェルビーイングの重要なファクターである以上、終の住処である介護施設も、入所者の「自分らしさ」を最大限に尊重する必要があります。
楽器を弾きたい、料理がしたい、ゴルフがしたい……それがこれまでの生活の一部だったのならそれを可能な限り実現するのは当然のことです。さらに、趣味に限らず喫煙や飲酒などの嗜好も同様でしょう。「喫煙や飲酒は体に悪いから禁止するべきだ」といった意見は、それはそれで正しいかもしれませんが、視点を変えれば、それは単なるきれいごとです。悪い側面も含めてその人の生活習慣・趣味嗜好であり、法律と秩序を守れる限りは個人に選択の自由があります。そのうえで、わたしは入所者の「自分らしさ」を尊重したいと思うのです。
実際に、わたしが管理する介護施設では、公共スペースの秩序を守ることは義務づけますが、自分の個室では極力、好きなようにしていいことにしています。また、喫煙も指定エリアを用意しています。それは、施設の外の世界と同じですよね。また、入居者が「こういうことがしたい」というのなら、まず耳を傾け、可能な範囲で実現できるよう努力をします。
——認知症の入所者が自分らしく生きるうえで、トラブルなどは起こりますか?
グスタフ・ストランデル:もちろん、困難はあります。所内のトラブルだけでなく、外出して迷惑をかければ地域住民のお叱りを受け、警察に面倒をかけてしまうこともあるでしょう。でも、それが世のなかです。世のなかから隔絶し、遠ざけることがウェルビーイングにつながるでしょうか?
リスクマネジメントを重視する介護施設では、そういったことはしません。安全・安心なルールを定め、そのなかで生活することを求めます。入所者の行動を規則にはめてしまえばトラブルは少なく、ケアプランも効率的になり、メリットは大きいでしょう。
その環境がぴったりとはまる入所者はいいのですが、不満やストレスを抱えて生きるとすれば、それはやはりウェルビーイングではありません。そのため、一人ひとりの入所者の要望に向き合い、自由を確保し、非効率でも一人ひとりのケアプランを立てて見守っていく。そのうえで、トラブルの起きないケアの体制を目指しています。
そうして自分の親が楽しそうに過ごし、心が健康的であるほうが、家族も安心して介護施設を訪れてくれるのではないかと思います。
ここで述べたことは、あくまでもわたしの考えであり、日本の介護業界全般の総意ではないかもしれません。ですから、そうした要介護者のウェルビーイングを、業界や団体、自治体、さらに国を挙げて見直していけるよう、介護施設を実際に運営しながら働きかけを行っているというわけです。
——多様な価値観や趣味嗜好に対応でき、ウェルビーイングを実現できる介護施設は今後増えていくと思われますか?
グスタフ・ストランデル:日本の介護施設の素晴らしい点の一つは、「入所する施設を選べること」にあります。世界的に見ても、入所する介護施設は国が指定するものであり、選択肢があることは珍しいのです。そして、「選べる」ということは、競争も起きるということを意味します。競争があれば、介護施設といえどもニーズに見合わない施設は変わっていかざるを得ませんよね? そういったことからも、わたしは日本の介護福祉の今後に希望を持っています。
実際に、変化の兆しが起きている例をご紹介しましょう。前提として、日本の介護施設のなかには、認知症の入所者を子ども扱いする風潮があります。介護職員に悪気はなく、むしろ善意と懸命な姿勢によるものですが、コミュニケーションも子ども扱いで、施設の装飾も保育園のような雰囲気にしてしまいます。
わたしの知り合いで、デイサービスを開設した人がいるのですが、それが嫌だったのだといいます。その人は、もともと百貨店で働き、お客様のライフスタイルにかけるプライドを尊重されてきた人です。いざ、自分の親が介護施設を必要としたとき、いくら探しても親が満足できそうな雰囲気の施設が見つからなかったそうなのです。それなら、「自分でつくるしかない」と覚悟を決め、大人が満足できるデザインで、コーヒーを楽しむラウンジを備えたデイサービスを開設したのです。
そのように、介護を受ける人の視点で、新しく多様な介護施設が生まれていく流れが、さらに進んでいく可能性があると考えています。
——しかし、介護施設の数が不足し、入所希望者にとっては選択の余地がないのが実情ではないですか?
グスタフ・ストランデル:その状況もだいぶ変わってきました。入居費用がなく月額料金も抑えられる特別養護老人ホーム(特養)は、確かに待機待ちの状況ですが、実際のところ待機者数は減少しています。2014年に約52.4万人で待機者数のピークを迎えましたが、2022年には約27.5万人に半減しています。
その原因は、2015年に入所要件が「要介護3」以上に厳格化されたことに加え、民間の有料老人ホームなどが増加した影響が大きいと見ています。2000年には日本全国で約350施設だった有料老人ホーム(介護付・住宅型・健康型)は、現在では17,000施設以上に増えています。さらに、民間ならではの多様な介護のスタイルがあり、有料であるぶん待機も少ないのです。行政では埋められないニーズを民間が埋めるという自然な流れが生まれているといえるでしょう。
居住型の介護付き有料老人ホーム、介護サービス付き高齢者住宅、住宅型有料老人ホーム、グループホームのほか、通いのデイサービスも増加し、施設数そのものはいずれ十分にそろうと思います。
——現状を踏まえ、今後の介護福祉におけるウェルビーイング実現の課題はどこにありますか?
グスタフ・ストランデル:介護業界の人材不足が深刻な課題です。民間の老人ホームやデイサービスの急激な増加に対し、どの施設も人手が足りていません。また、厚生労働省の調査によれば、2022年に介護・福祉業界の入職超過率(新たに入職する人数から、離職する人数を引いたもの)はマイナス1.6%になり、業界から人材が流出しているのです。
介護施設にウェルビーイングを実現する方針や体制があっても、人材不足となれば実現することは不可能です。それどころか、必要最低限の介護ケアさえ追いつかずにケアの質を落とすこともあるでしょうし、施設のスペースに余裕があっても新規の受け入れができなくなることもあるでしょう。
この解決のためには、例えば、定年退職後の65歳〜80歳の元気な高齢者や、あるいは外国人が介護職員として活躍しやすい働き方や制度が求められます。また、北欧諸国をはじめとする合理的な考え方の海外では、介護負担をテクノロジーで軽減できる「ケアテック」の実用化が進んでいますが、日本の介護現場ではリスクに対して慎重なため、実用化が進まない実情があります。
ぜひ、企業のみなさんにも、介護業界のこうした現状について知っていただき、企業の健康経営の推進を通じて改善への声をあげていただけると嬉しいです。介護業界の進歩・改善が、従業員の老後の安定、あるいは親の介護負担の軽減につながります。
(グスタフ・ストランデル)1974年、スウェーデン生まれ。高校・大学時代に日本への留学を経験。ストックホルム大学東アジア学部卒業後、スウェーデン福祉研究所所長を経て、2009年に株式会社舞浜倶楽部総支配人、2012年に同代表取締役に就任。高齢者福祉をテーマに、スウェーデンと日本で調査・研究。両国の架け橋として多角的に活躍し、多数のメディアに取り上げられている。 (ストランデル・公子)これまで株式会社伊勢丹、株式会社オリエンタルランド、その他、株式会社 博報堂や第一生命株式会社などで経験を積む。スウェーデンオーガニックブランドの立ち上げにも携わり、ヘッドハンティング業界を経て、高齢者業界へ転身。2017年に株式会社舞浜倶楽部へ入社し、現在福祉法人一静会理事、地域密着複合型施設しずか荘施設長。日本の介護業界のみならず世界の介護業界へ活動の幅を広げ国際的に活動中。
(グスタフ・ストランデル)1974年、スウェーデン生まれ。高校・大学時代に日本への留学を経験。ストックホルム大学東アジア学部卒業後、スウェーデン福祉研究所所長を経て、2009年に株式会社舞浜倶楽部総支配人、2012年に同代表取締役に就任。高齢者福祉をテーマに、スウェーデンと日本で調査・研究。両国の架け橋として多角的に活躍し、多数のメディアに取り上げられている。 (ストランデル・公子)これまで株式会社伊勢丹、株式会社オリエンタルランド、その他、株式会社 博報堂や第一生命株式会社などで経験を積む。スウェーデンオーガニックブランドの立ち上げにも携わり、ヘッドハンティング業界を経て、高齢者業界へ転身。2017年に株式会社舞浜倶楽部へ入社し、現在福祉法人一静会理事、地域密着複合型施設しずか荘施設長。日本の介護業界のみならず世界の介護業界へ活動の幅を広げ国際的に活動中。