リモートワーク時代の新習慣。「能動的な休息」がビジネスの質とQOLを高める
コロナ禍を契機としたリモートワークの導入により、通勤の移動時間が極端に減るなど業務は効率的になった一方、「仕事を手放せる時間が減ってしまった」というビジネスパーソンの声も聞かれる。また、人事・総務をはじめ、同僚や上司といった「周囲の目」が利かないことで、健康状態や生活状況の悪化に他者から気づいてもらうことも困難になった。そのような時代に、ビジネスパーソンが自衛のために心がけることとはなにか——。2021年に著書『何もしない習慣』(KADOKAWA)を刊行し、能動的な休息の必要性を伝えている笠井奈津子氏に話を伺った。
構成/岩川悟 取材・文/吉田大悟 写真/石塚雅人
「ワーク・ライフ・ブレンド」が体と心に悪影響を与える
——笠井さんは栄養士として多くの著書がありますが、2021年に出版された『何もしない習慣』では、栄養の重要性だけでなく、休息の重要性を訴えています。どのような社会背景から刊行に至ったのでしょうか。
笠井奈津子:コロナ禍を経て、リモートワークが導入されたことを契機に「働き過ぎている人」が増えていることを実感したことが、この本の出版に至ったきっかけのひとつです。わたしは栄養士を本職としていて、各企業からの依頼を受け、食生活からパフォーマンスアップを図るセミナーや、健康状態の改善が必要な従業員の方々の相談に乗っているのですが、働く人たちの食生活の乱れが顕著になっていると感じています。
コロナ禍以前、日々の出社があたりまえだった頃は、決まった時間に起床し、決まった時間に食事をし、決まった時間に家を出るというルーティンがあったかと思います。それこそランチを食べる時間も決まっていて、実に規律的な生活をみなさん送っていました。しかし、リモートワーク下ではそんなルーティンがなくなり、起きてすぐ仕事をはじめて朝食を摂らなかったり、仕事をしながらパンを片手で食べるような片手間のランチをしていたりと、「食事」という生きるためにとても重要な活動の優先順位が下がってしまい、おざなりになっています。
もちろん、こうしたことは食事に限りません。運動習慣、趣味の時間、休息の時間も区切りを明確にできず、1日の生活から仕事を切り離せない人が増えています。
——確かに、24時間ずっと働いているわけではなくても、私生活と仕事が混ざり合ってしまって、退勤後のプライベートの時間でも合間にメール対応するような人は増えたと感じます。
笠井奈津子:いわば、「ワーク・ライフ・バランス」ならぬ、「ワーク・ライフ・ブレンド」のような状態ですよね。短い時間でも、しっかり仕事と生活を切り替えることができて、自分の時間や休息を得られる人はいいのですが、仕事ばかりを優先する人は疲弊してしまい、心身に悪影響をきたしかねません。
——そんな状態が続くと、具体的にどのような影響がありますか?
笠井奈津子:身体面では、食生活の乱れや運動不足によって疲れやすくなり、パフォーマンスが著しく低下します。そしてメンタル面では、ストレスに対して弱くなってしまいます。その原因は、栄養バランスが取れていないことから、ストレスを克服するために必要な神経伝達物質の材料としてのたんぱく質が不足することもありますし、切れ目なく仕事のことを考えるから仕事のストレスから逃れられない側面もあると思います。
わたしは以前、心療内科クリニックで食事カウンセリングに携わっていた経験もあるのですが、「大丈夫、大丈夫」といって精力的に働いていた人が、ある日、心がポキっと折れてしまう姿を何度も目の当たりにしました。みんな「自分は大丈夫」と思い込んで、メンタルの失調を自覚できなかったり、無意識に認めようとしなかったりするのです。
企業で行う食事指導でも、改善対象の方に食事記録を提出してもらうのですが、あきらかな暴飲暴食の日になにがあったのかをていねいに探っていくと、そこではじめて「嫌なことがあってつらかった」と自覚する方がいらっしゃいます。特に40代、50代の男性は、自分のストレスに無頓着な方が多いようですね。「仕事はつらいことがあって当然」という考えが前提にあるため、無意識に我慢してしまうのでしょう。
そうしたメンタリティを持っている人たちに、通勤や移動のすきま時間、周囲の目配りがないリモートワーク環境を与えてしまえば、さらに休息なく働き続けることは当然のことかもしれません。そのまま放置しておけば、うつ症状が出る人もいるでしょうし、メタボリックシンドロームによる高血圧や糖尿病など、重大な症状をきたしてしまうこともあるでしょう。そうなる前の具体的な「自衛策」であり「予防策」として、「能動的な休息」の習慣化をおすすめしています。
「能動的な休息」とは、自分を点検する時間のこと
——笠井さんがおすすめする「能動的な休息」というのは、具体的にどのようなものでしょうか。
笠井奈津子:旅行に行く、温泉やサウナに行く、昼寝やリラクゼーションの時間をつくるといった休息ももちろんいいのですが、ここでの「能動的な休息」とは、「①仕事を断ち切る時間を意識的に設けること」と、「②自分について振り返る習慣をつくること」を定義としています。
——「①仕事を断ち切る時間を意識的に設ける」を解説してください。
笠井奈津子:仕事に意識が傾き過ぎていると、それこそ、仕事がひと段落するまで友人と遊ぶ約束すらできませんし、運動や食事も後回し、自分自身のケアも後回しになってしまいます。仕事をすることが、イコール「自分の幸せ」ならいいのですが、そうでなければ仕事に人生を支配されているだけで、完全にストレスフルな状態です。つまり、QOLがとても低い状態です。
そうならないためには、仕事以外の予定をスケジュールに意図的に入れることが求められます。単に、「仕事が終わったらそれ以外のことをしよう」では、いつまで経ってもやりたいこと、やるべきことはできません。例えば、友人に会食に誘われたら、明確にスケジュールに組み込んでしまい、そのうえで「間に合わせるための仕事の仕方」を考えていくことが重要なのです。
明確な予定があれば、尻に火がついて集中して仕事に取り組めますし、案外どうにかなるものです。同じように、食事、運動、休憩なども、決定事項のスケジュールにして仕事を進めていくことで、自分のスケジュールを能動的なものにしていくことができます。
「仕事への支障」を気にしてなにもできない自分を、思いきって乗り越えること——。それが、最初のステップです。
——仕事以外の自分の予定を能動的に立てられるメンタルを整えたうえで、「②自分について振り返る習慣をつくること」にも時間を割いて取り組むわけですね。
笠井奈津子:そうです。②の振り返りには2パターンあるのですが、ひとつは「自分の1日のスケジュールを洗い出してみること」です。30分ごと、1時間ごとの自分の行動を一覧にしてみてください。
何時に起床して食事をし、子どもを保育園に送って何時に仕事をはじめて……。そんなふうにひと通りの自分の行動を書き出すと、「これってもっと短縮できるのでは?」とか、「これは後回しのほうが効率いいかも」「もっと便利な家電に買い換えようかな」といった気づきを得ることができます。
目の前の「やるべきこと」に集中するだけでなく、定期的に俯瞰して自分の行動を洗い出すと、効率化できることが見つかるので、負担を減らし、自分の時間をつくることに役立つはずです。
また、そのアクションに対する「心の動き」についても思い返してみてください。「この仕事は気が重かったな」というストレスの所在や、「この番組を観ているときがわたしは一番ハッピーな気分」という「快」の感情のありかが見えてきます。つまり、自分がなににストレスを感じ、なにに喜びを得ているのかを「見える化」するということです。
ストレスを感じるものに対しては、「今後どのように扱っていこうか」と対策を考えていきましょう。そして、喜びを感じる出来事は、まさにあなたにとっての「ストレス解消法」です。ストレスを乗り越える方法は、インターネット上や本にもたくさん出ていますが、それらが自分にあてはまるとは限りませんよね? でも、自分自身がすっきりしたこと、楽しかったこと、嬉しかったことは、間違いなく効果的な気分転換の方法です。
——とはいえ、スケジュールの書き出しは結構な手間がかかりそうですね。
笠井奈津子:これを毎日行うのは手間がかかって継続が難しいので、気が向いたときで構いません。そこで毎日でもできる、もうひとつの振り返りの方法が、「心に残った3つの出来事を書き出すこと」です。それなら毎日でもできる気がしませんか?
今日のよかったこと、嬉しかったこと、嫌だなと思ったことなど、心に残っている3つの出来事を書き出してみましょう。そして、スケジュールの書き出しと同様に、ネガティブなことは今後の対策を練り、ポジティブなことは今後に活かしていくのです。
わたし自身も、時間があるときにはスケジュールの洗い出しを行いますが、ふたつ目の「3つの出来事」は毎日、ノートに書き留めています。それを振り返って、「精神的に疲れた日は、明日の朝ご飯をおいしくする仕込みをしておくと元気になる」など、過去に体験した「自分のご機嫌の取り方」を把握しています。
余暇を与えるより、余暇の過ごし方を提供する
——従業員自身が能動的な休息を意識するだけでなく、「能動的な休息」を企業の側から働きかけるとしたら、どのようなアクションが効果的だと思いますか?
笠井奈津子:「ワーク・ライフ・バランス」の充実のために、「ノー残業デー」の実施や有休消化の奨励など、「仕事を手離す時間」を各企業が提供しようと動いていますよね。
しかし、仕事への支障を恐れ、プライベートより仕事を優先してしまうタイプの人たちの話を聞くと、時間だけ与えられても「なにをしていいかわからない」というのです。在宅でも仕事ができてしまういまでは、結局、サービス残業を自主的に行ってしまうだけでなく、有給日でもデスクに向かってしまう可能性もあるでしょう。
そこで、具体的な「時間の使い方」を併せて提示し、意識変容を促していくことも大切だと思います。例えば、フィットネスクラブや保養所などの割引サービスを福利厚生として用意しているのであれば、社内SNSやイントラネット上で、その利用者のレビューを発信してはどうでしょうか? また、社内報などがあれば、様々な従業員の余暇や終業後の過ごし方をロールモデルとして紹介するのもいいかもしれません。
一人ひとりにカウンセリングできればいいのですが、それはさすがに困難でしょう。ですから、少なくとも情報発信を行い、能動的な休息を決意するための「きっかけ」を提供していくことが大切だと考えます。