企業の品格とブランドを生み出す「ビジネスマナー」。そこにある現状と教育課題
相手を気遣い礼儀を重んじる風潮の強いここ日本では、社会人にとっての「ビジネスマナー」は、個人の主義に関係なく身につけるものとして考えられてきた。しかし近頃では、価値観が多様化し、「若年層のビジネスマナー教育もなかなか一筋縄ではいかない」と人材育成コンサルタントの人見玲子氏は語る。いまの時代におけるビジネスマナーはどうあるべきなのだろうか。教育における考え方や、ビジネスマナーの基本マインドについて聞いていく。
構成/岩川悟 取材・文/吉田大悟 写真/石塚雅人
「ビジネスマナーに共感できない」若手世代の心理
——人見さんは礼節に厳しい金融業界でビジネスマナーの企業内講師として活躍され、現在は数多くの企業でビジネスマナー研修を実施されています。近頃は、SNSを中心に若者世代のビジネスマナーに対する懐疑心が見て取れることもあるのですが、人見さんは若い世代の状況をどう捉えていますか。
人見玲子:わたしは新卒向けのビジネスマナー研修も実施しているのですが、若い世代の傾向として、従来のビジネスマナーに共感できないところもあるのかなと感じています。
以前であれば、ビジネスマナーを教える際に「あなたがこのような扱いを受けたら嫌な気持ちになりますよね?」と共感を求めてマナーの必要性を理解してもらったものです。しかし、いまの若い人のなかには「あまり気にならない」という人が多い傾向にあるようです。
例えば、挨拶をしない人がいてもさほど気にならない、メールの文面が礼節を欠いても用件がわかればいい、相手がタメ口でもそれはそれで構わないなど、よくいえば「おおらか」なのです。ですから、わたしたち上の世代が「普通に考えてそれは失礼でしょう?」と考えることと、彼ら彼女らの認識には大きなズレがあるかもしれないのです。
かつての若い人のなかには、マナーを破ることで生じる周囲の不快をわかったうえで「媚びたくない」とか「とやかくいわれたくない」といった、プライドの高さから反抗心を持つ人もいました。しかし、いまの若い人に反抗などの気持ちはありません。ただただ、「ピンときていない」だけなのです。
——そのような状況において、若者たちに対してどのようにビジネスマナーの重要性を伝えるといいのでしょう。
人見玲子:共感できないのであれば、ビジネスマナーのメリット・デメリットをきちんと伝え、ある程度打算的であっても納得してもらうのがいいでしょう。以下は、ビジネスマナーを身につけることによる社内外でのメリットです。
研修でも最初に伝えることなのですが、ビジネスマナーとは「相手に対する思いやりの心をかたちにして相手に伝えること」です。それは単に、「好印象」を演出するだけではなく、双方のビジネスをより円滑に進めるために必要なのです。
例えば、名刺交換のマナーひとつとっても、相手の名前を記した名刺を大切に扱うことが「尊重の気持ち」を伝えることになります。初めて会うからこそ、互いに安心感を持って仕事に取り組むための「ひと手間」ともいえるでしょう。そのように、多くのビジネスマナーには、ちゃんとした意味があるのです。
ですから、「あなたは気にしなくても、相手やまわりの人たちは気にしてしまうのです。評判を落として社内の居心地が悪くなったり、取引先との関係性が悪化して仕事にいらぬトラブルを呼び込んだりしてしまいますよ」とデメリットを伝えると、素直に受け止めてくれます。
また、より端的に「それがビジネスマナーとされているのなら、守っておけば無駄なストレスを受けないで済みます」と伝えることもあります。格好いいメッセージではないかもしれませんが、初めて社会人になる新卒のビジネスパーソンにとっては、慣れない社会生活において折れそうな心を周囲に支えてもらい、成功体験を積んで成長することが大切です。そのためにも、ビジネスマナーをしっかり身につけることはメリットしかないと考えます。
ビジネスマナーの適切・不適切は、相手の感じ方次第
——近年では、「過剰なビジネスマナー」がSNSなどで話題になることもあります。人見さんは、ビジネスマナーにおける「過剰」と「適切」の境目をどのように考えていますか?
人見玲子:世の中の空気としてビジネスマナーに対する懐疑が生じていることは、講師として受け止めています。それこそ、「マナー講師が仕事のために過剰なマナーを生み出しているのではないか?」などという話もあるほどです。なかには、まるで都市伝説のような過剰なマナーの話題も見聞きします。
例えば、稟議書や社内文書に押印する際、まるで目上の役職者にお辞儀をするようにあえて傾けて判を押す「お辞儀ハンコ」が、上下関係に厳しい金融機関では常識だという噂があります。しかし、わたしは以前、金融機関に在籍してビジネスマナーを指導していましたが、少なくとも「お辞儀ハンコ」を見たことも教えたこともありません。あるとしても、一部の企業、あるいは一部の事業部独自の文化に過ぎないのではないでしょうか。
実際のところ、講師によっては「かなり厳格なマナーを教えているな」と感じることはあるのですが、「不要なほどに過剰なマナー」を教えることはあまりないと思います。ただし、「その企業や業界でなければ、過剰となり得るマナー」は確かに存在します。
例えば、「お客様の姿が見えなくなるまで見送り続ける」ことが過剰かというと、それは業態や考え方によるでしょう。
自分自身が見送られる側で考えてみます。一般的な感覚では3,000円程度の買い物をして、お店の従業員が50メートルも離れたのにまだ見送り続けていたら、「そこまでしなくても……」と重く感じますよね。
一方、高級車のディーラーで車を買ったのであれば、「それだけの買い物をした」という自負があると思います。すると、ずっと見送られていても違和感を抱かず、「さすがブランド力の高いメーカーだな」と感じるかもしれません。
つまり、ビジネスマナーが過剰かどうかは「相手の感じ方次第」ということになります。その企業の社会的なイメージやブランドからすれば、世間的には違和感がないものである可能性があるのです。むしろ、先の高級車ディーラーの例のように、その過剰さがブランドイメージを生み出すこともあるでしょう。ですから、形式だけにとらわれず、そのビジネスマナーが生み出す価値や意味を想像することが大切だと思うのです。
——その他、個人の価値観によっても、ビジネスマナーのあり方は変わるのでしょうか?
人見玲子:先にも申し上げたように、ビジネスマナーの基本は「相手に対する思いやりの心をかたちにして相手に伝えること」です。しかし、相手の価値観や好みによって、どこまでかたちにすれば伝わるかは変わってきます。
お見送りでも、心を尽くすことを喜ぶ人ならエレベーターを一緒に降りて玄関まで送ったほうがいいですし、逆にそれを「しつこい」と感じる人ならエレベーターホールで失礼したほうがいいわけです。ただし、それは相手のことを理解できている場合であって、よく知らないのであれば一般的に適切とされるマナーで対応するのが無難でしょう。
さらにいえば、相手次第で「正しいとされるビジネスマナー」が適切とはいえないケースもあります。例えばタクシーに乗るとき、一般に後部座席の右奥が上座とされます。でも、お客様が着物をお召しであるなら、奥の席(上座)への移動は大変ですから、手前の席(下座)に座っていただくことが配慮となります。ただし、「よろしければ、わたしが奥の席に座りましょうか?」と必ずひと声かけ、マナーに反しているのではなく気遣いであることが伝わるようにしましょう。
ビジネスマナーの向上は、企業全体のレベルアップにつながる
——ここであらためて伺いますが、ビジネスマナー研修というのは、新卒や若年層を対象として行われることが多いのですか?
人見玲子:そんなことはありません。例えば、周年事業として会社のリブランディングや組織力強化を図る際、まず足元の施策として全社的なビジネスマナーを見直す企業などもあります。また、中途採用の多い企業では、あらためて全社的にビジネスマナーを見直したい、統一したいなどのご要望があります。その他、成長企業では、お付き合いするクライアントのレベルが上がってきたことで、自社も振る舞い方を洗練させる必要が生じ、全社的に研修を導入するケースもあります。
——その場合、どのようなプロセスで研修の実施を検討していくといいのでしょうか。
人見玲子:まずは、「理想」と「現実」のギャップを明確にすることがスタートです。自社の経営理念、パーパス、ミッション・ビジョン・バリューなど様々な表現がありますが、世間に抱いてほしい理想のコーポレートイメージに対し、従業員の日々の行動が見合っているかを把握することです。BtoC業態であれば覆面調査などが有効でしょうし、BtoBビジネスでは、ヒアリング調査が中心となります。そのギャップを埋めていくための重点課題を定め、指導するプログラムを検討していきます。
——実施にあたり、対象者の優先順位などはありますか?
人見玲子:実施対象を階層で分けがちですが、実際に一般職向けに研修を実施すると、アンケートに必ず「管理職にこそ実施してほしい」という声があがります。逆に、管理職向けに実施すると、「一般職にもぜひ指導してほしい」という感想になるものです。
その声が意味するのは、階層や年齢によってビジネスマナーの習熟度に大きな優劣はなく、現場ではすべての層で改善の必要を感じるということでしょう。それなら全社的に実施し、階層を超えてビジネスマナーに対する共通認識をつくることが効果的です。
また、新人以外の研修では、「忙しい時間を割いて、いまさらビジネスマナーを学びたくない」という声が必ずあがります。ですから、全社的な取り組みとして、目的や必要性についてトップから説明してもらえると従業員の取り組み方は変わります。さらに理想をいえば、トップみずからも研修に参加してくださると、従業員の改善意識は大きく高まります。