健康経営アドバイザーに聞く、「効果的な健康経営」実践のために人事・総務ができること
「健康経営」という言葉が浸透するにつれ、「従業員の心身の健康」の重要性はますます多くの企業に認識されている。しかし、「具体的になにをすればいいのか?」と悩み、「やっていることは従業員に支持されているのだろうか?」と不安になる人事・総務の担当者も多いと聞く。そこで、栄養士であり健康経営アドバイザーとしても活躍する笠井奈津子氏に、健康経営における「従業員の健康増進」を実践するうえで、人事・総務の担当者が押さえておきたいポイントについて語ってもらった。
構成/岩川悟 取材・文/吉田大悟 写真/石塚雅人
従業員の声から「自社の課題」を把握することがスタート
——笠井さんは多くの企業で栄養士として食事指導やセミナーを実施されてきましたが、招かれる講師の視点で「人事・総務がこんなことをしてくれたらもっと効果的ではないか」と感じていることはありますか?
笠井奈津子:セミナーやイベントを企画する前に、まず「健康に関する自社の課題」を明確にすることが大事だと思います。さらに、それを人事・総務や役員の方々のアイデアや他社事例だけに頼るのではなく、従業員へのリサーチによって実態から課題を探ることが大切です。そのプロセスを省いてしまうと、従業員の実態に沿わない、独りよがりな施策になりかねないと思うからです。
自社の課題を探求することなく、「とりあえず、なにかみんなの健康に役立つ話をしてください」という依頼や、「他社でこういうことをしていたから、同じことをしたい」という相談をわたし自身もいただくことがあるのですが、それは「ちょっともったいないな」と感じてしまいます。せっかくなら、みなさんの会社ならではの問題を突き止めて、その解決に取り組んだほうが効果的だと思うのです。
どの企業でもあてはまるような、健康に役立つ話をすることは構わないのですが、それは時に「きれいごと」になりかねません。例えば、定時でみんなが帰宅できる企業なら「自炊でつくる理想的な栄養バランスの食事」というテーマは通用しますが、残業が常態化している企業では「きれいごと」です。「それができたら苦労しないよ」と思われてしまい、受講者に響かないのです。
残業が多い企業向けに「コンビニ食でも、これを選べば栄養バランスはOK」といったテーマで語るとしても、コンビニが近隣にないところであれば、残念ながらこれも寄り添ったテーマにはなりませんよね。
そんなふうに、食生活は「個人の問題」ではなく、企業の職場環境や働き方に大きく左右される問題だとわたしは考えています。現場の従業員の生の声からリサーチを行い、「自社の課題」を汲み取っていただけると、実情に寄り添った提案ができます。
従業員の生の声を拾うことで、思わぬ実態が浮かび上がる
——従業員へのリサーチは直接のヒアリングや、アンケート調査などが考えられますよね。それを実施した場合、どのような課題が浮かび上がると思いますか?
笠井奈津子:それらのことを実際にやってみると、人事・総務の方々が想像していなかった課題に気がつくケースが多々あります。課題が食生活ではない可能性だってあり得ます。例えば、若い従業員はお金の問題で食費を切り詰めていることが栄養バランスを損なう原因かもしれません。また、従業員の平均年齢が高ければ、介護と育児で時間がなくて生活習慣が乱れがちなのかもしれません。
そういった実情を知れば、打つべき対策は変わってきますよね?食生活の啓蒙を行うと同時に、残業時の食事補助や、介護や育児に関する福利厚生の充実が必要だったりするわけです。セミナーのテーマも「食費の節約と栄養バランスの両立」など、一歩踏み込んだもののほうが、みんなの関心を引くでしょう。
実際にあったケースでは、オフィスにある無料の飲み物がコーヒーしかなかったため、従業員がカフェインを過剰に摂っていることが判明したことがあります。それが睡眠習慣にどの程度の悪影響を与えているかは明確にはわかりませんが、過剰摂取はあきらかに問題ですから、ウォーターサーバーも置いておくことが健康増進につながる可能性があります。こういったことは、人事・総務のメンバーだけで考えていても、たどり着かないと思います。
——企業の課題が明確でないと、講師としても「打ち手がわからない」といった悩みはありますか?
笠井奈津子:講師によっては、企業側に特にニーズがないのなら、世間一般に通用する普遍的なテーマや、あるいは得意とするコンテンツの提供にならざるを得ないこともあると思います。逆に、講師をされている方は様々な引き出しをお持ちですから、リクエストがあれば、きっと応えてくれるはずで、そのための材料がリサーチであったりするわけです。
わたしの場合は「栄養士」であると同時に、「健康経営アドバイザー」という役割もあるので、必ずしも食事や栄養に限らず、健康管理全般で「どのような内容を従業員に伝えていけばいいか」について、ディスカッションからスタートすることがよくあります。
つまり、打診いただいた段階で企業側がノーアイデアだったとしても、プランニング段階に立ち返って施策を一緒に考えていきたいと思いますし、その過程で従業員へのリサーチも提案しています。そのうえで、関心を引くテーマや切り口を一緒に考えるだけでなく、他の専門家とのコラボレーションを提案するなど、できることはなんでもしています。
多くの企業から「健康経営といってもなにをしていいかわからない」「従業員の共感を得られている気がしない」というお悩みを聞くのですが、どちらも課題抽出のプロセスをしっかり踏めば解決できることだと感じています。
従業員に健康意識を継続させるためのコツ
——セミナーの直後は健康意識が高まっても、すぐに意識が元通りになってしまうという悩みもあると思います。継続的に健康意識を維持するために、効果的な方法はあれば教えてください。
笠井奈津子:予算にも関係するので簡単ではないと思いますが、単発でなく継続して依頼していただけると、講師の側からも継続的な効果を発揮するためにできることは多くなります。
わたしの場合は、食生活に関するセミナーを開催したのち、参加者や特定の従業員に対して個別相談を受けつけることが多いのですが、食生活や生活習慣はいちどレクチャーするだけで改善することは困難です。継続的なつながりがあれば、次回の相談でリマインドもできますし、改善できない原因についてサポートすることも可能です。
個別相談で一人ひとりと膝詰めで話してはじめて相手を理解できることも多く、そのサンプルが多ければ企業全体としての課題も見えてきます。理解度が高まり、一講師としてだけでなく、コンサルタントとして提案の質を上げることが期待できます。
はじめて招く講師はお試しだとしても、感触がよければ「3カ年計画で考えたときに、どんなことができるか」など、中長期プランを相談してみてはいかがでしょうか。
——人事・総務など社内のリソースで実施するとしたら、どのようなアプローチが考えられるでしょうか。
笠井奈津子:食習慣や健康習慣の改善では、指導をしても3週間も放置すれば元に戻ってしまうので、定期的にリマインドできる機会を社内で設けることが大切です。そこで、定期的に経過報告をする仕組みや、社内報やイントラネットを活用した情報発信を社内で行うといいですね。
また、改善に取り組むサークル活動など、同じ目的を持つコミュニティをつくれば、そこで継続的なリマインドや取り組みの発展が期待できます。さらに、コミュニティ化はモチベーションの観点でも効果的な取り組みになる可能性があります。ポイントは、自己開示できて、それを褒められる場にすることです。
わたしが継続的に従業員の方々の食事指導をする際も、経過状況をヒアリングして、ポジティブなフィードバックを心がけています。ダイエットが必要な方の場合に顕著ですが、具体的な目標体重があると、そこに到達するまで自分で自分を評価できないし、人にも誇れません。「まだ目標体重まで5kgもある……」と思いながら嫌々で食事を我慢するのは、孤独であり、ストレスになりますよね。
でも、その途上で話を聞き、「大好きなラーメン屋さんを我慢できたんですね。すごい進歩です!」と、結果ではなくプロセスを評価・賞賛すると、それが「快」になって以降のプロセスも頑張ることができます。プロセスを見守って励まし合える仲間がモチベーションになるという点で、コミュニティ化は効果的だと考えます。
「健康」とひとことでいっても、取り組むべきテーマは多岐にわたります。わたしにとっても、自分だけではアフターケアが行き届かないので、継続的な取り組みをサポートしあえるコミュニティ形成は、ぜひやってみたいテーマです。どんなかたちで実現できるか、セミナーの前後からどう仕掛けるかなど、企業のみなさんと相談する機会があると嬉しいですね。