すべてのビジネスパーソンにとって、心身の健康における大きな課題が、「個人が抱えるストレス」だ。ある程度自分で対処していくには、各々の経験とともに、新しい考え方のフレームワークを得ることが有効となり得るだろう。そこで、経営者かつ禅僧という「半僧半俗」の姿勢を貫き、禅を活かした経営・組織開発コンサルティング、リーダーシップ研修、講演などで活躍する島津清彦氏に話を伺った。自分で自分の状態に「気づく」という禅の智慧と考え方、それらを日常生活で実践する方法をお伝えする。
構成/岩川悟 取材・文/辻本圭介 写真/藤巻祐介
——組織で働く人にとって、心身の健康における大きな課題が「ストレス」であることは疑いようのないことだと思います。島津さんは、いまの時代にどのような精神的困難がストレスにつながっていると考えますか?
島津清彦:現代社会に生きる個人が抱えるストレスの背景には様々な要因がありますが、ITの発達によって扱う情報量が激増し、それを処理するためのスピードも加速していることがあると見ています。そうした圧倒的な情報量といや増すスピードは、あきらかに人間の脳のキャパシティを超えていますよね? それが、個人の精神的困難に大きな影響を与えているのだと考えます。
なかでも、SNSは厄介な存在で、仕事でもプライベートでも常に誰かと接続しているような状態を生み出しています。加えて、SNSによる弊害としては、自分と他人とを「比較し過ぎる」点も挙げられるでしょう。多くの人は、SNSにおよそ「いいこと」しか投稿しない傾向があり、それら他人の状況を目にすると、つい自分と比較して承認欲求が満たされなくなったり、自分を卑下してしまったりする場合があるというわけです。
——質、量ともに変化する情報を個人がうまく扱えていないこと、SNSの普及などが大きな要因なわけですね。
島津清彦:はい、そう思います。これをビジネスの観点から見ると、情報量の増加とともに、「選択肢」が増えたことも問題です。働き方が多様化し、転職も容易になり、副業する人も増え、独立して起業する人だってたくさんいる時代です。つまり、それだけ働く自由が増したということです。しかし、選択肢が増えたぶん、自分の頭で重要な判断・決断をし続ける必要もあるのです。
情報のインプット、アウトプットは複雑かつ加速化するばかりです。でも、その変化に対応できず、仕事や生活のなかに「余白」や「余裕」がなくなりつつあります。それが理由で、重要な判断・決断がおざなりになっているという状況にあるのではないでしょうか。
——企業は社員の健康問題に注意を払う義務があります。とはいえ、ストレスに対しては、個人で対処していく力も必要です。個人のストレスマネジメントに、どのように禅の智慧を活かせるでしょうか。
島津清彦:禅には、「即今 当処 自己(そっこん とうしょ じこ)」という言葉があるのですが、これは「一所懸命に、いま、ここ、自分に集中して生きよ」という意味です。いまの時代は、膨大な情報に対応したり、常に誰かの様子が気になったりすることなど、自分以外のものに対して気を遣わなければならない場面が増え過ぎています。そのため、「本当に自分がやりたいこと」や「自分だけの時間」がどんどん失われています。
そこで、禅の教えの根幹にある「いま、この瞬間の自分」と向き合う時間を持つことや、それを常に意識する姿勢が、ストレスに対処する手掛かりになります。
もうひとつ、「前後際断(ぜんごさいだん)」という禅語も、いまこの瞬間の自分に集中するヒントになるでしょう。「前」は過去を、「後」は未来を指し、「過去と未来の際を断ち、いまここに生きよ」という意味です。
人の悩みの原因は、過去の後悔と未来への不安がその多くを占めています。そこに頭を使い過ぎてしまい思考優位な状態になるために、「即今 当処 自己」の状態からどんどん離れていき、最終的に健康に悪影響を与えてしまうのです。
——「即今 当処 自己」や「前後際断」といった禅の教えを、日常生活で実践していく方法や習慣をぜひ教えてください。
島津清彦:ポイントは「五感」――つまり、身体感覚にあります。禅では坐禅や瞑想を行いますが、日常で実践しやすくわたしも行っている習慣として、「頭のなかにあることを書き出す」ことをおすすめします。身体感覚にフォーカスしたいので、できれば手で書いたほうがいいでしょう。
例えば、毎朝の習慣として今日やることを書き出すと、忙しい日でも「今日はこれだけ行えばいいのだ」と頭がクリアになり、「いま、ここ、自分」に集中しやすくなります。同時に、頭のなかのもやもやした過去や、未来の不安を吐き出すことにもつながります。
夜は、数行の日記を書くといいでしょう。その日をていねいに振り返ると、「意外と悪くない日だったな」「1年前の今日よりも少しは成長したかな」といった具合に、いわゆる内省の時間を持つことができ、生活のなかに余白が生まれます。
——頭のなかにある思考や感情を、物理的なかたちで吐き出し、ていねいに振り返る時間を意識的に設けるわけですね。
島津清彦:そこでの注意点は、嫌だったことや反省点を書き連ねないことです。そこで、書き出しは必ず「感謝」からはじめることをルールとしてください。「今日もありがとうございます」と書きはじめ、「新しい人と出会えてよかった」「今日のランチは美味しかった。ありがとう」というふうに、どのようなことに感謝してもいいので、とにかく感謝の気持ちを綴ることが大切です。
「日日是好日(にちにちこれこうにち)」という言葉があります。これは単に「今日はいい日だったな」という意味ではなく、「なにがあったとしても、今日という日を、いい日だと思って振り返る」という考え方、生き方のことです。
いいことがあっても悪いことがあっても、晴れても雨が降っても、今日はいい日だったということであり、どんな日でも、どこかにきっといいことがあったはずなのです。それらの出来事を、多くの人は、無意識的に流して生きてしまっているということです。
——その他にも、日常生活のなかで五感や身体感覚にフォーカスするいい方法があれば教えてください。
島津清彦:ウォーキングやランニング、掃除をすることなども効果的です。最初は面倒に感じても、まずはやりはじめましょう。30分も続ければ頭と気持ちがすっきりし、「いま、ここ、自分」に集中しやすくなるはずです。それから、ゆっくり食事を取り、ゆっくりお茶を飲むのもいいですね。いつもであれば慌ただしく済ませるランチを、45分に伸ばしてゆっくり味わうだけでも違いを感じると思います。スマホを見ながらの「ながら」をやめ、五感でていねいに味わうのです。
五感を刺激するという意味では、読書、音楽、美術鑑賞もいいですし、自然に触れる機会を持つこともおすすめです。
禅というと、どうしても坐禅や修行のイメージを持ちがちなのですが、実は歩くこと、座ること、立っていること、掃除すること、料理すること、食事をいただくことなど、あらゆることが禅の行為なのです。
行動して体を動かすと、心の動きがあとからついていきます。さらには、手を使って感謝の気持ちを書き出せば、心は静かに癒やされていくでしょう。五感を意識さえすれば、日常のあらゆる場面で「いま、ここ、自分」に集中することができるのです。
——「いま、ここ、自分」に集中して生きられると、主体的に毎日を過ごす助けになりそうな気がします。関連して、困難に対するレジリエンスも高まるのではないでしょうか?
島津清彦:その通りです。自分で自分の状態に「気づく」ことができるようになると、自分をコントロールしやすくなります。また、主体的に判断して行動できることが、ストレスマネジメントにもつながるでしょう。
それにはやはり、自分のなかに湧き起こる感情や思考を、ていねいに「観察」することが鍵を握ります。「あ、いま不安になっている自分がいるな」「いま少し調子に乗っているかもしれない」というふうに、もうひとりの自分が、自分を俯瞰して見ているイメージです。
世阿弥が著した能の理論書である『風姿花伝』に、「離見の見(りけんのけん)」という言葉があります。「舞台に立ちながらも、観客席や天井など離れた目で自分を俯瞰しなさい」という意味です。この言葉は、もうひとりの自分が自分を見ることを意識する状態を指しており、現在の認知心理学でいう「メタ認知」にも通じるものです。
常に自分を俯瞰し、客観視するには、普段からのトレーニングが必要です。例えば、なんらかの作業をしているとき、ふと「誰かに後ろから見られている」と思うと、自然と背筋が伸びませんか? このように、自分を自分の外(天井や後方など)から見る意識を持つ習慣をつけたり、イメージしたりする癖をつけることが有効です。
——自分で自分の状態に「気づく」力を高めるために、他にもいい方法はありますか?
島津清彦:自分のなかに起こる、「違和感」を大事にしてほしいと思います。なにかを見聞きしたとき、ザワザワとした感覚を覚えたり、「なにかおかしいな」と感じたりすることが誰にでもありますよね。テレビやラジオから流れてくるニュース、またはSNSのコメントを見たとき、会議で誰かの発言を聞いたときなどに、「うん?」って感じることがあるでしょう。そのとき感じた違和感こそが、まさに自分の光であり、本当の自分の声なのです。
そうした違和感を察知するためのセンサーは、本来、自分のなかに存在します。その直感的に働くセンサーのことを、禅では「自灯明(じとうみょう)」という教えに集約されます。「自らを灯りとせよ、自らを拠り所とせよ」という意味です。
違和感は、いわば自分にとってのアラームであり、センサーが発する重要なサインなのです。ですからわたしは、「自分の違和感を大事にしてください」とみなさんにお伝えしています。
もっというと、これまで述べてきた方法によって、自分のなかに起こる思考や感情をていねいに「観察」すれば、アラームという防衛機能も含め、自分にとって必要なあらゆる機能が、すでに自分のなかに備わっていることに気づくはずです。それを意識することが大切なのです。
——自分を拠り所とする意識を持つことが、ストレスマネジメントにつながるわけですね。日常の生活習慣においては、どのようなことに留意して過ごすといいですか?
島津清彦:シンプルですが、「あたりまえのことを、あたりまえにやる」ことは、ストレスマネジメントをするうえで欠かせません。これを禅では、「法灯明(ほうとうみょう)」といいます。「法」とは絶対普遍の法則であり、「真理」を指します。
例えば、夜ふかしをすれば、朝起きづらくなりますよね? そんなふうに毎日無理をしていると、いつか必ず体を壊してしまいます。なぜなら、それは自然の法則理に反したことをしているからです。人間は自然の法則理に抗えないことを、まず自分で知ることが必要なのです。
真理に抗わないという意味では、起きたことを「いったん受け入れる」姿勢も大切ですね。「あたりまえのことを、あたりまえにやろう」と思っても、毎日のように予想外の出来事が身に降りかかりますが、それらの出来事に無理に抗わないことを意識しましょう。「受け入れる」ことができずに抵抗してしまうから、苦しみが増していくのです。
そうではなく、いったん身を委ねたうえで、あらためて「自分が大切にしたいこと」に立ち戻ってみる。そのあと、それに向かって一歩一歩、小さく着手し続けることです。
——自分の身に降りかかることを「受け入れる」のは少し難しくも感じますが、そこで心掛けることはありますか?
島津清彦:自分自身にかける「言葉」がポイントになります。仏教学者の鈴木大拙氏は、「それはそれとして」という言葉をよく使っていたそうです。予想外の出来事が起きたとしても、「それはそれとして、これをやろう」というふうに気持ちを切り替えて、次の行動に移るということです。
わたしからは、「ちょうどよかった」という言葉もおすすめしておきます。お客様に対してミスをしてしまったら、普通なら「どうしてこんなミスをしたのだろうか」と心が乱れるところを、「それはちょうどよかった」といって切り替えましょう。起きた事実にはどうやっても抗えないわけですから、「これからは事前にチェックする習慣をつけよう」というふうに、思考の転換をしていくのです。
わたし自身は、よく「まあいっか」といっています。なんだかあきらめのように捉えられがちな言葉ですが、この言葉を口にすることで、起きたことに抗わずどんどん受け流していけるようになります。思考をうまく転換していけるようになると、ストレスをよりマネジメントしやすくなるはずです。
1965年、東京都生まれ。人財・組織・経営を熱くする「禅マインドプロデューサー」。 前職スターツグループでは、取締役人事部長として延べ6,000人の採用面接を行い、急成長する組織の制度と風土改革を実行。その後グループ会社2社の経営トップとして、1社をV字回復。1社は過去最高益を達成する。これらの現場体験から得た経営の「実践知」を日本の企業に広く提供すべく、2012年に独立起業。人財・組織開発・経営コンサルティング会社を設立。同年に得度し仏門入りしてからは、企業・教育機関・官公庁などで禅をベースとしたコーチング・研修・講演活動を行っている。
1965年、東京都生まれ。人財・組織・経営を熱くする「禅マインドプロデューサー」。 前職スターツグループでは、取締役人事部長として延べ6,000人の採用面接を行い、急成長する組織の制度と風土改革を実行。その後グループ会社2社の経営トップとして、1社をV字回復。1社は過去最高益を達成する。これらの現場体験から得た経営の「実践知」を日本の企業に広く提供すべく、2012年に独立起業。人財・組織開発・経営コンサルティング会社を設立。同年に得度し仏門入りしてからは、企業・教育機関・官公庁などで禅をベースとしたコーチング・研修・講演活動を行っている。