従業員の「心」を守る。カスタマーハラスメントの時代に高まる、クレーム対応教育の重要性
かつては、お客様をまるで神様のように扱い、要求を尊重し過ぎる傾向にあったが、近頃では「カスタマーハラスメント」が従業員のメンタルヘルスを侵害する社会問題となり、企業の対応が急がれている。しかし、それ以前の問題として、カスタマー側からのクレームに対する従業員教育がなされていないケースが多いという点もあるだろう。元航空業界のグランドスタッフとして経験を積み、様々な「クレーム対応」の企業・自治体研修を実施している人見玲子氏に、接客現場におけるクレーム対応の重要性と教育の意義、さらには健康経営との関連性についても解説してもらった。
構成/岩川悟 取材・文/吉田大悟 写真/石塚雅人
クレーム対応において欠かせない「マインド」と「スキル」
——人見さんは航空業界のグランドスタッフとしてご活躍され、現在は講師として「接客マナー」や「クレーム対応」の研修を、小売業店舗や企業・行政の窓口向けに実施されています。「クレーム対応」とは、どのようなもので、なにを目的に学ぶのでしょうか?
人見玲子:クレーム対応を学ぶ目的は、クレームを訴えるお客様との関係性を維持・向上させ、自社サービスの改善につなげることにあります。また、そのためのマインドとスキルを知ることは、結果としてクレームによる従業員の精神的苦痛をやわらげ、心を守ることにもつながります。
まず、クレーム対応の「マインド」からご説明します。お客様から急に怒りをぶつけられると、慌ててしまって冷静に対処できなかったり、防衛本能で怒りが湧いたりするのは人間として自然な反応です。しかし、お客様の言い方が荒っぽかったとしても、従業員を困らせることが目的ではなく、なにかを要求していたり改善してほしいことがあったりするからわざわざ伝えに来ているのです。
従業員の「クレーム」に対する捉え方が不満や苦情、文句や嫌がらせといったネガティブなものであると、クレーム対応もまた「苦痛なもの」でしかなく、そこから建設的な発想は生まれません。ですから、まずお客様の言い方や態度のことは切り離して考え、クレームを「ご意見」や「ご要望」として受け止めることがクレーム対応において求められるマインドです。なぜなら、お客様がいっていること自体は、「商品・サービスの問題点」を表していることが多いからです。
実際に、クレームを訴えるお客様は問題が解決したのち自社のサービスを見限るかというと、むしろ逆で、対応に満足してもらえると「ファン」になってくれることも多いのです。また、従業員が受けるストレスの観点でも、苦情や怒りではなく「要望」として受け止め、「解決が自分たちのためにもなる」というマインドを持つことで、クレーム対応もミッションの一つとして捉えられると思います。
——クレーム対応のマインドについて理解できました。では、「スキル」とはどのようなものでしょうか。
人見玲子:基本となるクレーム対応において一番重要なスキルは、「傾聴」です。人の心理で考えた場合、自分の話を聴いてもらえると承認欲求が満たされ、相手に好感を抱くものです。まして、クレームが楽しい話でないことはお客様も理解しているので、それを真摯に聴いてもらえると、気持ちもほぐれて相手へのシンパシーが生まれます。傾聴ひとつで、「よく考えたら、あなたが悪いわけじゃないわね」「わかってくれたならいいわ」とお客様の気持ちの整理がつき、解決に至ることも多々あります。
クレーム対応における傾聴の有効性を知らないと、つい、お客様の話の途中で「それは誤解です」と弁解したり、お客様の話を遮ってこちらの言い分を伝えようとしたりしてしまいます。それが、お客様の不満と怒りをヒートアップさせ、問題をこじらせてしまう原因となります。まずは、お客様に経緯も不満も、すべて語り切ってもらうことが大切なのです。
また、お客様のお話に寄り添って傾聴すると、「確かにそれは腹立たしいかもしれない」「こちらの落ち度とはいえないが、気が回らなかったのは事実だな」など、共感できる点が見えてきます。すると「そのようなことがあったのですね。大変ご迷惑をおかけしました」という謝罪の言葉に気持ちが入りますし、クレームへの対応や謝罪に従業員自身も納得感を得られます。
これらは基礎中の基礎ですが、こうしたコミュニケーションスキルや、自分の怒りの感情をコントロールするアンガーマネジメント、窓口対応や電話、メール対応での具体的なケーススタディなどを、企業の業務内容に合わせてロールプレイングなどを交えて指導しています。
クレーム対応の教育が、従業員のメンタルヘルスを守る
——クレーム対応が「従業員の心を守る」という観点について、詳しくお聞かせください。
人見玲子:「クレーム対応研修」はむかしからあるのですが、接客において欠かせないスキルでありながら、むかしもいまも教育を受ける機会に恵まれない従業員は多いのが実情です。クレーム対応というのは、自己流ではなかなか「適切に対応できない」と思っていいでしょう。方法がわからないままクレームに対応し、悩み、苦しんでいる従業員はたくさんいます。例えばわたしの研修を受けたときに、「そういうふうに捉えればよかったのですね……」と泣き出してしまう人もいるほどです。
クレームに対する適切なマインドやスキルがなければ、心無いことをいわれた経験は心の傷になります。また、「信頼できる会社だと思ったのにがっかりした。そんな対応で恥ずかしくないのか!」といわれれば、急に会社の看板やブランドをひとりの人間が背負わされ、自分が会社の価値を毀損したような感覚に陥るでしょう。責任感の強い人ほど、そのダメージは大きいと考えられます。
その意味で、クレーム対応とは従業員の心を守る「護身術」のようなスキルになり得るものです。接客をともなう業務であれば、しっかりと身につけておく必要がありますし、健康経営の観点でも有意なものとなるはずです。
——近年、「カスタマーハラスメント(カスハラ)」が与える従業員のメンタルヘルスへの影響が問題視され、国からも企業へ対策が求められていますね。
人見玲子:わたし自身も航空業界の窓口業務に立った頃は、罵詈雑言のようなクレームに悩まされましたし、これまで対応に苦しんできた従業員たちのことを思えば、過剰なクレームがハラスメントとして認識されたことはいい流れだと思っています。
例えば、2024年にNTTドコモが「カスタマーハラスメントに対する基本方針」を発表し、「なにが“カスハラ”にあたるのか」を自社で定義しました。ドコモショップの店舗では、カスハラに該当するお客様の行為があれば対応をお断りし、悪質であればサービス提供の停止や通報・法的措置も辞さないことを掲示物でお客様に伝えています。その他、JR東日本の声明、全日空と日本航空の共同声明などで、同様のアクションが広がっています。
これまで、お客様の過剰なクレームに対して「対応をお断りする」ことが、多くの企業で現場責任者の判断に委ねられていたのです。しかし、お断りしたお客様がSNSでなにを拡散するかわかりませんし、本部のお客様センターにどう一方的な伝え方をするかもわかりません。そのリスクを現場責任者が負うことは難しいため、いいなりにならざるを得ない原因になっていました。しかし、企業が公式に対応を定めてくれれば、現場責任者の心理的負担は大きく緩和されます。
——そうしたなかで、クレーム対応の重要性も変わっているのでしょうか?
人見玲子:逆説的な話ですが、「お客様にカスハラをさせない」ためにも、クレーム対応の重要性が高まったと見ています。なかには、お客様の要望は正当であり、大ごとにする気もなかったのに、対応のなかでヒートアップして過剰な発言・行為に至ることがあります。
お客様の気持ちを落ち着かせ、お話を伺い、自社のサービス改善につなげていけるクレーム対応のあり方が、いっそう求められるのではないでしょうか。
クレーム対応への全社的な取り組みで、サステナビリティに貢献する
——「クレーム対応」は、販売部門や人事部門であれば人材教育のプランとして認識されているかと思いますが、健康経営の推進部門にとっては縁遠い領域かもしれません。健康経営の一環として「クレーム対応」を検討するにあたり、アドバイスをお願いします。
人見玲子:先に述べたように、クレーム対応を教育されなければ現場の従業員にとって心理的負担が大きく、カスハラに至ってはメンタルヘルスの不調に直結しかねない問題です。健康経営の実現において不可避のファクターとして、まずはクレーム対応に関する社内の実態調査を行っていただくのがいいと思います。
というのも、企業によってクレーム対応の事実が本部に報告されず、事例共有できていないケースがあるからです。なぜなら、現場では「クレームが生じたこと」自体をマイナスと捉えてしまう風潮があるからです。
——クレームによる従業員の心理的負担を本部が認識できないばかりか、せっかくのクレームが製品やサービスの改善に活かされない可能性があるのですね。
人見玲子:それでは、事業継続性の意味でサステナブルな体制とはいえませんよね。大手消費財メーカーなどでは、クレームから改善のヒントを見出す全社的な取り組みが進んでいることが多いようです。それらの企業のお客様相談センターにおけるクレーム対応は、電話対応やメールの文面まで徹底されていて気遣いにあふれています。
また、製造部門と情報を共有して検証結果をお客様にフィードバックするなど、消費者から見た場合、「自分のクレームや報告が活かされている」と感じることができます。商品に不具合があったのに、その対応で信頼感が深まり、メーカーや商品のファンになるのです。
もちろん業種が異なれば対応の仕方は変わってくるわけですが、単に現場のスキルとして「クレーム対応」を取り入れるだけでなく、全社的なクレームへの向き合い方、活かし方まで踏まえた仕組みづくりができると理想的ですよね。健康経営への取り組みをきっかけに、よりお客様の信頼回復・ブランドイメージ向上につながる、「クレーム対応」のあり方を検討してみてはいかがでしょうか。